/心と身体のエネルギー調整&ハッピー伝道師/
MIYAKO
「私のやりたいことは何だろう?何がしたいんだろう?」と、感じたことのある方はいられますか?
私が、私を知りたい、理解したい、今の状態は、抜けないとまずいと、感じ始めたのは、長男を出産して成長するにつれ、幼稚園の登園渋り、不登校、引きこもりと深刻な事態の現実を経験し、長男が小学4年生の時に「お母さん、無意識過ぎるよ。」と言われた事が切っ掛けで、自分と向き合いはじめました。
周りに合わせ過ぎていたり、親の言いなりになりすぎていたり、犠牲的な生き方をしているより、若い頃から自分と向き合って生きたかったと後悔が出てきた時期もありましたが、自分への気付きが始まる時期に遅い早いと、自分をジャッジする癖もかなり抜けて自由を選択出来るようになっています。
今、思うと、、、子ども達(三児の母です)は、私の救世主でした。子育てから、自分を育てる事を始めた私です。
現在は、
- 自分を愛すること、信じること
- 天と地と自分が繋がるように、光の柱をイメージすること
- 行動を、感情と思考に細分化して自分の望みを発掘すること
- 心と身体と行動の一致、心の平和インナーチャイルドと仲良くする事
- 目に見えないエネルギーを言葉にする事
- 愛と感謝の自己統合
を、より良い人生の波に乗るよう、意識して行動しながら実験、実践中です。
また、意識も光に溶け込むような在り方、エネルギーを意図して、マニアックに日常を楽しんでいます。
不登校中の長男が小学高学年の時に、「お母さんの為に塾に連れていかれている」と、言われ子どもに無理をさせるのは、止めようと決めてから、本格的な自分の魂磨きの為の講座にも通い始めて、自分の為の学びに切り替えました。
2018年に野口せつこさんのアドラーベースの子育てと高森久美子さんの心の声を聴くセラピトコースを現実面と精神面の解決を求めて、同時期に並行して学び始めました。
そこで、自分と向き合う事で子どもと自分の境界線がハッキリ見えてきます。
母親から私は、所有物のような扱いを受けていた事を、その2つの学びからやっと理解が出来て、衝撃的な事実を受け止めました。
両先生からは、自分を信頼してくれている、真っ直ぐに私に向き合ってくれている、心の温かさが、伝わって来ました。
嫌な事、キツいことも言葉を選んで伝えてくれている信頼と安心感は、私が幼少期に大人から受け取れていなかったものを手渡していただき、今でも感謝が湧いてきます。
私の幼少期は、元々の質がのんびりしていたので、効率優先な母と呼吸が合わなかったです。
私の記憶では母は、いつもイライラしていて怒っていて、八つ当たり的に私に感情をぶつける事も日常茶飯事でした。
また、それに輪をかけて、実母を大切にしていて実母に逆らわない父親の優しさが自分に100%向かない事に不満な母は、いつも不機嫌で、不満が多かったのです。
私は、不満を口にして怒ってばかりいる母親を喜ばせたい、笑わせたい、どうしたら喜んでもらえるか?が、自分の行動の軸になっていたので自分が何をしたいのか?どう感じているのか?を口にして表現する事が苦手でした。
私は、家庭内が丸くおさまるように道化役を演じ出します。
自分の存在が行方不明で無難に、犠牲的に生きる状態を続けていました。
母からの視点だと、私は、言うことを聞かなかった子どもだったと言われますが、私的には、自分の感情を置き去りにした幼少期、悲しみや寂しさは感じないように、おどけてしまう泣くのも我慢する子でした。
例えば書道の展覧会用に、清書をする時、墨を垂らしたり、失敗をしてはならないと、完璧にしなければならないと、母が逐一そばで見守り監視する圧は、尋常ではなく、実際に失敗をするとあり得ない怒りをぶつけられました。
母からしてみると、良い賞を取らせたい一心だったのかもしれないです。
私は、怒りをぶつけられた時の、体が震え上がる感覚を覚えています。
何も感じない遮断した幼少期を過ごしたと思いながらも、感受性は強かったと思われる記憶が残っていて、その出来事は、小学3年生の時で、自分を諦めた瞬間でした。
怒られた理由は忘れたけれど理不尽に罵られ(たと感じた)ガクンと頭をもたげた夜に布団に丸くなりながら「こんなに理不尽に扱われる自分が悲しくて悲しくて💦こんなに悲しいから自分の意見を通したり、言うのは諦めよう、お母さんを喜ばせる為に生きよう」と布団に丸くなりながら涙した日は、かなり鮮明に記憶に残っています。
私の子ども時代は、周囲から見ると良妻賢母な母から献身的に世話をされる恵まれた環境に居る子どもであり、私も、その環境しか知らないから母親に感謝しか感じず育ってきました。
長男の不登校からカウンセリングや親子関係を学びだして、初めてやっと、自身の親子関係の異常さに気付いたのです。
不登校の会で、良く聴いた「真綿で首を絞められるような扱いをされていた」状況が、自分の幼少期でした。
私のインナーチャイルドは、暗い牢獄に押し込められた状態で長らく外に出てこれない引きこもり状態を過ごしていました。
それでも、健気に自分が存在している事は母を喜ばせていたし、役に立ちたいと思っていた願いは叶っていました。
今、思うと、境界線が保たれていない共依存的な優しさは1㎜も必要なく、早く親とは縁を切るくらいの気持ちで自分を生きれば良かったと後悔していた時期もあります。
ズボラを自覚した今は、アフリカに住んでいる自由でいることが生き甲斐のようなキリンが、檻に閉じ込められていたような状況でした。
この経験を深掘りすると、自分のメリットは、母から怒られるより母の機嫌をとり言われた通りに行動する事で、自分で選択せず楽な道を選んだと、言うことでした。
また、自分を弱い立場におく事で、自分が楽をしていたのです。
最近の気付きで、衝撃だった事は、母の台詞と夫の台詞がタイプは違えど、同じ台詞を言われていた事です。
母に過去、言われた言葉→『お前は、何も出来ない、役に立たない』
夫に言われ続けている言葉→『お母さんは、何も出来ない、役にたつ事をしない、無駄ばかりする、ろくな事をしない、役に立たない』と、同じ台詞をはかれていたことに気付き愕然とします。
母と夫からの時として、放たれる八つ当たり的精神は、私にマウントを取ることで母と夫の精神が保たれていたのかも、しれないとも考えていた時期もあります。
今、私が選択するとしたら、自分の気持ちは相手を怒らせても発信することが大事であり、自分の潜在意識が現実を創っている視点にたつと昭和人情劇場は、直ぐに脱ぎ捨てたい気持ちになりました。
自分の思い込みとブレやすさは何度もその皮を脱ぎ捨てるレッスンが必要でした。
頭では分かっていても、現実はネガティブを選択して、同じ現実が繰り返されていました。
それでも、2023年現在、脳の思考癖を変える、土台を愛ベースに100%切替える、等の取組みは、母からの強制はなくなり、夫からのマウント発言は現在もありますが、同じ環境に在っても自分自身がハッピーで在れる事を実感できているので、成果をあげていると公言できます。
その当時の見直しポイントは、 母と夫に同じ台詞を言われていることにあると思い、夫と母からして欲しかった事を書き出してみる事もしました。
- 優しくして欲しかった
- 労り、労って欲しかった
- 私の気持ちを無視、置いてけぼりしないで、尊重して欲しかった
- 一緒に楽しみたかった
- プレッシャー、期待はいらず、存在を認めて欲しかった
- 失敗しても笑い飛ばして欲しかった
- 挨拶や礼儀をわきまえて欲しい(母にはそれがあり、夫は挨拶や礼儀無し)
この「お前は役に立たないと言われる現実」と「して欲しかったこと」のギャップは、中学、高校は認められたい欲求を主軸に行動するので自分の意思が行方不明で、大人からみたら、私は、言うことを聴く枠にはまった優等生でした。
中学では、自分の意志が行方不明な状況でも、成績も良く友達とも無難に合わせられました。
高校になると、周りの友人は自分がどうしたい、どうなりたい将来のヴィジョンが出てきていて、私は、ピンボケしつつ自分を守る事に精一杯だったかもしれないです。
完璧にしなければならない気持ちから自分にいらない重荷を背負う、親の期待に応えなければならないと、思い込んだ状態は、自分の人生の舵取りが出来なくなっていきました。
母親の癖をそのままコピーしていて、私も効率を重視したから無駄な事、親が喜ばないことはしてこなかったのです。
趣味は漫画を読むこと、ボーッとする事だったなーと自分の小学生から高校生時代を回想します。
今となっては、学生時代に人ともっと関わりたかった、人との距離感を経験して、関わりをすれば良かった、とは、言っても表面を取り繕うのに長けている自分。
大学生時代は無難にスルリと良いとこ取りをしてきたのかもしれません。
就職、結婚は、柳のように流されるまま自分の意図や希望を見出ださなかったです。
私は、好きな人が仲の良いお友達と被ると、譲るような弱気なところが、ある自分でした。
相手の女性の念が怖かったりしたのも理由にあります。
けれど、社会人時代は、自分の気もちを深掘りせずに、全般的に諦める事が多発していました。
そんな中でも、成功体験はあり、大学生時代には、好きな人が後輩と被っても、自分の思いが叶った経験があります。
それは、自分で何とかしようとはせずに、好きな気持ちを確信した後には、その事に執着せず、手放して委ねてラッキーが舞い込んだ経験でした。
なので、今現在も、自分から取りに行かなくても手放して委ねる事が上手くいくコツと感じています。
回想が長くなっていますが(..;)自分の結婚に付いても、書いていきます(._.)
結婚についても、母親からの介入は当たり前に許してしまっていました。
一途に付き合ってる人が遠距離だったので、私が遠くに行って欲しくない母親からは「いつ、別れるの?」が毎日多発されました。
だいぶ後になり、あの時は大変だったと切り出すと母親は、「わたしはそんな事言ってないわよ!!!」と逆切れされました。
言った本人は覚えてない事は、良くあるパターンですね。
それでも、言われた方はジワジワとそうしなきゃいけないと受け取ってしまう(;.;)
今となっては、自分の癖に、気付いたら、そのパターンを自覚して違う考え方を選択する事が現実を変えるコツと思っています。
人に◯◯しなきゃね、
とか
◯◯が常識よね
と、言われても、単純バカに素直に、そうなんだーと思いすぎずに
本当の事実はどうなのか⁉️
自分は、どうしたいのか⁉️
条件反射で鵜呑みにせずに、一旦、自分の中で咀嚼タイムを持つ事が良いです。
結婚を決めた時はその少し前から、母親から「結婚、決めないとね、結婚しないとね」の圧がまた凄かった(;.;)
母親の、行きすぎた行為を私が全力で拒否すれば私の人生は、全く違う色になってたんだろーなーと感じています。
それでも、あの時はあれしか出来なかったし、私の精一杯だったし今、最善を生きる事を積み重ねる事がより良い未来に繋がる体感があるので、マイナスを掘る事を今はやめています。
長男の育児中にそれが出来ていたら〜と思いは繰り返すけれど、、、旦那の言動や自分の未熟さから、あれはあれで仕方がなかったと思えるようになりました。
さて、結婚について、旦那とは親の紹介で知り合ったのです。
もうこの辺から怪しいです。それでも、会ってみると「ビビッ、あっ!」と来るものがあった💦のです。
後からわかった事は、夫とは、過去生からの因縁、カルマがありました。
会った瞬間に「あっ!」と思ったのはカルマの解消の「あっ!」で相性の良い相手ではなかった、と感じています。
勘違いの「あっ!」だった(;.;)と思っています。
過去生は
私は、囲われていた方の存在。
夫は、囲っていた方の存在。
その囲われていた関係性から、抜け出した自分を体感出来ている事が、今在る自分の喜びに繋がっています。
その経験があったからこそ同じ経験をしている方に寄り添い、意識の使い方で抜け道をお伝えする事が出来ています。
結婚前の初めの違和感を無かった事にせず向き合ってから前に進むべきでした。
必死に頑張り、母のために誰かのために子どもの為に、体裁と世間体よく前に進む事を考えて、頑張ってしまって結婚20年がたち、50歳になりました。
世間体と体裁を優先して、母を喜ばせる為に家族の為に生きてきた。そこから、学んだことを枚挙してみると、
今では、世間体や体裁は関係なく自分の、感情を大切にして直感で動けるようになった事。
夫も母も、別人格として境界線と冷静な距離をとり客観的に生活できるようになった事。
3次元は抜けて、高次元な捉え方が出来るようになったこと。
感情、思考、行動と区別するようになって実践中な事。
ここを、夫婦で共有したくて子どもの成長を願って、子どもがまだ、幼い時期に旦那に当たっては砕けてきた私は、そこを、スルーし続けた夫とは、今では老後を共に生きたくない、想いが強いです。
お人好しの自分は、ついウッカリ老後を共に居ないように気をつけよう。とさえ、思っています。
現状は、変えていく道を選択したい。
『感謝をしよう』と思っても思えない時は無理に感謝しなくて大丈夫なのです。
良い人や真面目な人は、許せない人も、許そうと努力してしまいがちです。
先ずは、『夫を許せない、許さない自分を許そう』。
家族は、社会のひな形みたいな感覚があり、その土台を丁寧に大切に生きています。
子どもの事が無ければ、見過ごしたであろう、インナーチャイルドの癒やしやチャクラを整える事、過去生からのカルマ解消等にも取組みました。
自然、エネルギー、自分自身とも、更に仲良くなりたいです。
今は、ご先祖様のカルマ解消を意図して、家庭に居続ける事を選択しています。
神様からの視点を通して、神軸で活動をしながら、土地と土地、人と人を繋ぎ、自然やエネルギー体との共生、より良いエネルギー循環を意図して生活を楽しんでいます。